完全にターゲットは私になった

モラ夫の父が亡くなって、しばらくの間は彼のモラハラターゲットは、義母でした。

わたしにも時々、罵声を浴びせることもありましたが、その頃の私は「これは喧嘩だ、仲直りできる!」みたいな、おとぎの国の住人の様な思考で日々過ごしていました。

子供もいない、共働き、地元で生活。

離婚するには最適な環境。

ここで目が覚めていたら、負のループに乗っかることなく、今ごろ平和に過ごしていたのかもしれない…そんな無駄なことばかり考えてしまいます。

そんなわたしの運命を大きく変える出来事が

義父が亡くなった約1年後に訪れました。

 

モラ夫の転職。

地元から遠く離れ、誰も知り合いのいない

土地に引っ越す事になりました。

 

そこから、モラ夫のターゲットは

完全に私になったのでした。

家族全員敵、中でも私が1番敵

2012年9月、モラ夫の父が亡くなりました。

10年も交際期間がありながら結婚が決まってから初めてお会いした父。

口は悪いけど、頭が良くて面白くて、尊敬していたし、すぐに大好きになりました。

約3年の家族としての付き合い。

その半分の1年半は入退院をくりかえし、

殆ど会えない状態。

やっとお見舞いに行けたのは、亡くなる1週間前。キツい治療で痩せ細り、毒舌になる元気もない、変わり果てた姿の父がそこにはいました。

「また来ますね」最後に交わした言葉が

叶わなかった…

 

そんな父が亡くなり、仮通夜で自宅に戻ってきた時から、モラ夫の暴走がスタートしました。

 

みんなの心が一つになろうとしている時に

わけわからん事ばかり言い放ち、場の雰囲気を

ぶち壊す人、たまにいますよね?

まさにそんな感じでした。

最初の攻撃は、訃報を知ったお父さんの弟さん夫婦とその息子さんが仮通夜に来てくれた直後。

お父さんにお経を唱えてくれた奥さん。

3人が帰った後、お母さんに

「あんな無駄なことしやがってアイツら何様のつもりだ⁈念仏唱えやがって」と怒りだしたのでした。

お母さんも、疲れ果ててるのと悲しいのとでまさかのその言葉に対して猛反論したため、

真夜中にも関わらずそこから大バトルがはじまるのでした。

家族全員お母さんの味方。私はどっちつかず。

それが気に入らなかったのか、

「お前がここに居るのが1番わけわかんねぇ。

他人はさっさと帰れ!今すぐだ!」

といきなり叫ばれたのでした。

 

あぁ、思い出すだけでムカついてくる…ww

 

#モラ夫#モラハラ#リコカツ

初めて離婚を考えた

モラ夫の父の病状が深刻になったころ、

モラ夫の言動が更なる変化を遂げました。

わたしには攻撃することは無かったのですが、モラ夫の母に対して、酷い言葉を浴びせるようになりました。

毎日毎日お父さんの病室に通い、時には泊まり込み一生懸命看病して精神的にも疲れ果ててるお母さんに対して、

「親父の心配は俺が1番している。上から色々物言うな。」と。

その時は、まだ自分に被害がなかったからか、モラ夫もお父さん不調で参ってるんかな…

程度にしか感じていないアホな私がいました。

 

本当人を見る目がない…

 

そして、お父さんが亡くなったと同時に

私に対する強烈なモラハラが始まるのです。

今思えば、離婚するチャンスはここだったのかな…

モラ夫の始まり

私たち夫婦のはじまりは2000年10月。
よくある「カップル誕生」みたいな始まり方。
そして、それから10年経った2010年2月に結婚しました。
その時はまだ、モラハラ被害に遭うなんて
想像もしていませんでした。

それくらい、私達は普通のカップルでした。

異変を感じ始めたのは2010年の年末の事。

モラ夫の父が、病に侵されてることが分かりました。
その時に、モラ夫が突然私に放った一言。
「お前の家族は噂好きだから、誰にも親父の話はするな」
いきなり何⁈
わけがわからない…
なんでそんなこと言う⁈

しかし、当時まだモラ夫に愛があった私は、
疑問をぶつける事なく、両親どころか友達にも
誰にも何も言わずに、ただただ平然を装う日々が
始まったのでした。

この時に、離婚しとけば良かったのかな…